太平洋戦争前の日本人は何を考えていたのか?

太平洋戦争 、いわゆる大東亜戦争時の日本人は何を考えていたのかということを考えてみたいと思います。当時の日本人は軍部に騙されていたのか。それとも昭和天皇に騙されていたのか。はたまた、何も考えていなかったのだろうか。それらの答えを出すためには、1941年、大東亜戦争が発生する前の80年間の歴史を追っていく必要があります。そこで、主な出来事を年表に並べてみます。
  1. 1868年。明治維新
  2. 1894年。日清戦争
  3. 1905年。日露戦争
  4. 1932年。満州事変と満州国設立
  5. 1937年。支那事変
  6. 1941年。大東亜戦争
それでは、1の時代から順番に追っていきたいと思います。

1、明治維新(1868年)

当時、日本は欧米諸国と二つの条約を結んでいました。
  • 治外法権
  • 関税自主権の放棄
治外法権というのは、外国人が何をしても外国の法律で裁かれるというものです。例えば、イギリス人が日本人女性をレイプしても、日本人はそのイギリス人を裁くことはできません。イギリスの裁判所が、「日本人はサルと変わらないから、レイプしても罪は軽いよ」と言えばその通りになります。そのため、イギリス人は日本でやりたい放題でした。
 関税自主権を放棄すると、どうなるのでしょうか。現代の日本は関税自主権を持っているので、外国のお米に対して大幅な関税をかけています。それによって、日本の農家は守られています。もし関税が無くなれば、日本人は外国のお米を安く買うことができるようになりますが、農家は困って生活ができなくなります。当時の日本は関税自主権が無かったので、外国から安価なものがたくさん入ってきて、多くの生産者は困っていました。
当時の日本人は欧米に対して怒っていました。

2、日清戦争(明治維新から26年後)

治外法権を撤廃して、関税自主権を日本に取り戻すためには国が強くなる必要がありました。そのため、簡単に言えば、朝鮮に対する支配力を強化するために、清国と戦うことになります。当時の戦争とは、清国の軍隊と日本の軍隊が戦うもの、つまり軍隊同士の戦いです。清国の軍隊が日本人を襲ったり、日本の軍隊が清国人を殺すようなことはしません。主に船上で、軍人同士が戦っていました。そして日本は勝ちました。
 日本人は戦争に勝つことによって、台湾を取得して、賠償金を獲得しました。でも治外法権と関税自主権の問題は残っているので、日本人はまだ欧米に対して怒っています。

3、日露戦争(日清戦争から21年後)

朝鮮半島と満州への支配を巡って、今度はロシアと戦うことになります。この戦争でも、軍人同士が戦いました。有名なロシアのバルチック艦隊が日本の近くを通りかかっても、沖縄や九州に攻め込んだりはしません。あくまで、目標は日本の軍隊でした。ここでも日本が勝つことにより、朝鮮と満州への支配力を強めました。
この戦争で勝った結果、治外法権と関税自主権の問題を解決して、日本は世界から一等国として認められました。樺太の半分も獲得しました。でも賠償金は貰えず、国民の生活は苦しかったので、国民は日本国に対して怒っていました。

4、満州事変と満州国設立(日露戦争から27年後)

日露戦争の戦費、関東大震災、世界恐慌の影響などがあり、国民の生活はいつまでたっても、よくなりません。国民はストレスがたまっていました。そんな中、当時の満州では支那人との紛争があったので、支那と戦争して満州を切り取ることにしました。元々、満州はある程度は日本の支配下にあったのでアッサリと成功しました。これに対して、日本人は熱狂して歓迎しました。
この戦争でアッサリと勝った結果、満州という広大な土地を獲得しました。日本人は大喜びです。満州には満州鉄道という日本最大の会社があったのですが、そこでは20万人以上の日本人が働いていました。いかに、大きな会社だったかがわかります。

ここで、いったん明治維新から1932年までの約60年間で日本人が学習したことをまとめてみます。

  • 戦争は軍隊と軍隊が戦うので、国民は関係ない。
  • 日本は戦争をすれば勝つ。
  • 戦争をすれば儲かり、権益が手に入る。
60年といえば、人の一生そのものです。つまり当時の大人は、ほぼ全員が上記の認識を持っており、子供にはそういった話をしていました。日本の軍隊は強くて、常勝で、勝つたびに日本は領地を増やしてきたんだと子供に言って聞かせました。

5、支那事変(満州事変から5年後)

満州を獲得したら、次は支那も獲得したくなってきました。国民は、戦争をすれば勝って、儲かるものと思っています。そのため誰も戦争を止めません。止められません。アメリカとの関係が険悪になってきても、それでも支那との戦争を止めようとはしません。日本は非常に強い軍隊で、常勝だったからです。支那の首都である南京を陥した時は、国内でお祭り騒ぎでした。戦争を止めようという雰囲気になるはずもありません。

6、大東亜戦争(支那事変から4年後)

アメリカと支那での権益がぶつかり、また、世界的な情勢がそれを後押したので、日本はアメリカと戦争することになりました。日本は初戦の連勝で、当時、欧米に支配されていた東南アジアを獲得します。これでまた儲かるということで、みんな大喜びでした。その様子は、出光さんの本に書かれています。当時、政府筋の人が石油権益を狙って非効率な組織を作り軍隊と揉めたとのことです。また、合気道の達人で有名な塩田剛三先生も当時、東南アジアにいたのですが、「みんな浮かれていたから、負けたのは仕方ない」という話を「合気道人生」の中で話されています。
ここで改めて、当時の国民が思っていたことを書きます。
  • 戦争は軍隊と軍隊が戦うので、国民は関係ない。
  • 日本は戦争をすれば勝つ。
  • 戦争をすれば儲かり、権益が手に入る。
しかし、大東亜戦争は今までとは違いました。

  • 国民は戦争に巻き込まれました。
  • 日本は戦争に負けました。
  • 戦争に負けて、全ての権益を失いました。

60年間、続いた現実が幻想であることに気づきました。

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駆け足で明治維新から大東亜戦争までの歴史を追ってみました。多分に私の予測を入れていますし、詳細な歴史を省いています。これを読んだ方は、当時の日本国民はバカだったと思うのでしょうか。私はそうは思いません。多くの人は、数十年間、続いた事実は真実だと感じますし、それは 現代でも変わりません。戦後の日本人は、土地の価格は必ず上がり続けるという神話を信じ続けた結果、バブル崩壊で多くの人が泣きを見ました。今現在で進行していることだと、国はいくら国債を発行しても大丈夫という神話があります。そう考えると、100年たっても人の本質は何も変わっていません。

想像力を働かせて、歴史を見てみよう。

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