グローバル人材の採用はなぜ失敗するのか

前回の記事でグローバル人材になる方法についてふれましたが、今回は、なぜグローバル人材を採用しようとして失敗するのかについて説明したいと思います。
グローバル人材のおおまかな定義は前回ふれた通りです。
おさらいしますと、以下の通りです。気を遣える人の意味は 幅広いのですが、今回は経団連の資料にそって分割してみます。

  1. 日本でしっかりと働ける「人材」であること
  2. その国で通じる言語力を保有すること
  3. 気を遣える人であること(4,5以上に広義の意味)
  4. 海外との社会・文化、価値観の差に 興味・関心を持ち、柔軟に対応する姿勢
  5. グローバルな視点と国籍、文化、価値観、 宗教等の差を踏まえたマネジメント能力
グローバル人材を採用する場合に、面接で見るのは1と2がメインになってきます。もしかすると、むしろ1よりは2がメインかもしれません。そのため、言語力だけが高い人帰国子女のような人を採用して3、4、5に関しては面接等で確認しません。というかできません。そして、面接者は候補者の言語力が高いというだけで4、5もできるだろうと勝手に思い込んでしまいます。しかし実際のところは往々にして逆の結果が待っています。なぜ、そうなるのでしょうか?

なぜならば、私達はあまり気付いていませんが、日本人は4、5の能力が外国人に比べて優れているからです。日本人は元来、八百万の神を信じており、仏教やキリスト教などが伝来した時もそれらのよいところだけを取り入れてきました。地政学的な条件に恵まれ、平和な時代が長く続いたといこともあり、物事を取り入れることに関しては、非常に柔軟性をもった民族です。それに比べて、海外では一神教の人が多く、また、常に戦火に晒されていたということもあり、柔軟に対応するという土壌はあまり育っていません。そのため、帰国子女や留学などで海外の文化にふれて育ってきた人は4と5の能力が低いことが、ままあります。

グローバル人材を採用したい時は、「どう気を遣える人材なのか」というところに焦点をおくといいかもしれません。あと、基本的に帰国子女の女性は地雷が多いというのは感覚値であります。でも、これはただのシックスセンスなので、なんの根拠もありませんw

グローバル人材になるためには、どうすればいいのか?

グローバル人材という言葉が、最近、よく聞かれるようになりましが、それがどういった人材で、どうすればなれるのかということについてはあまり言及されていません。そこで私の意見を述べようと思うのですが、その前にグローバル人材について軽く調べてみました。


「日本を起点にして物事を考えるのではなく、地球規模で広く物事を考えるという視点がグローバル人材の一つの要素」
「世界に通用する人間であると同時に、日本の良さも自覚した上で働くことのできる人材」と定義した。それには「日本について客観的な目を持つことに加え、自分とは違う物の見方や考え方をする人がいるという多様性を常に意識することが大切」
なるほど。わかるようで、あまりわからないですね。
次に経団連が書いた別の資料を見てみます。

グローバル人材の育成・活用に向けて求められる 取り組みに関するアンケート

グローバル事業で活躍する人材に求める素質、知識・能力



ここでは特に以下の四つが強調されています。

  • 海外との社会・文化、価値観の差に 興味・関心を持ち、柔軟に対応する姿勢
  • 既成概念にとらわれず、チャレンジ精神を持ち続ける
  • 英語をはじめ外国語によるコミュニケーション能力を有する
  • グローバルな視点と国籍、文化、価値観、 宗教等の差を踏まえたマネジメント能力
これらは比較的、具体的に書かているのでわかりやすいですね。でも、これを読んだ人が「なるほど、こうやればグローバル人材になれるのか」と思えるような資料にはとても思えません。結局のところ、経団連もグローバル人材とはどういったものなのか理解していないように思えます。
どうしてこんなに曖昧な話になってしまうのか?という点をふまえて、私なりのグローバル人材の解釈を述べてみます。

グローバル人材とは二つにわけられます。
一つ目は抜きん出た才能を持つ人達です。
例えば本田宗一郎、盛田昭夫、松下幸之助、出光佐三など、日本が輩出した起業家たちです。彼らは英語など話せなくても、自分たちの実力を武器に世界で堂々と闘って成功を収めました。また塩田剛三(合気道の達人)などもグローバル人材と言っても差し支えないかと思います。彼の元には多くの外国人が教えを請いにきました。勿論、彼は英語を話すことなどできません。むしろ、合気道を習いにきた外国人が必死で日本語を学ぼうとしました。彼らは経団連の条件のいくつに当てはまるでしょうか?既成概念にとらわれず、チャレンジ精神を持ち続けていたことは、当てはまると思いますが、他に関してはどうだったのかはわかりません。自らが「抜きん出た人材」となることで、むしろ外国人が教えを請いにきていた側面すらあったと思います。つまり抜きん出た人材であれば、そこには日本国内、海外といった枠は関係ないということだと思います。

二つ目のグローバル人材とは、もう少し一般的な話で、以下の三つの条件を満たしている人だと思います。
  • 日本でしっかりと働ける「人材」であること
  • その国で通じる言語力を保有すること
  • 気を遣える人であること
グローバル人材であるために、まずは「人材」である必要があります。そして次にコミニケーションがとれるだけの言語力を有し、最後に気を遣える人になる必要があります。
まず「人材」になるためにはどうしたらいいのでしょうか?これは仕事をして覚える以外に手はありません。内容にもよりますが、2、3年かかるものから、10年かかるものまで様々でしょう。そのまま「抜きん出た人材」になれればそれでいいのですが、そういった人達ばかりではありません。そういった人達は、次に言語力を磨くべきです。これはレベルが高いに越したことはないのですが、そこまで高い能力は必要とされません。なぜなら、仕事で使う単語は限られているからです。さらに、あなたがすでに「人材」であるならば、そのフィールドにおいては言葉が通じなくても理解できる可能性が高いからです。TOEICで言えば、600点ぐらいの英語力があれば十分です。でも繰り返しになりますが、言語力は高いに越したことはありません。
最後に気を遣える人材になる必要があります。これは曖昧な言葉ですが、日本人ならば理解できるはずです。元来、日本人はそういったことには秀でた民族でした。「おもてなし」という言葉もその表れです。しかし、昨今の日本人はこの能力が落ちてきていることも確かです。気遣い云々の前に、人に対する関心が著しく減ってきています。街中でもスマートフォンなどを見ているせいか、人に対する「気付き」が非常に少なくなってきています。最近、女子高生が、おかしなオッサンに階段から突き落とされた事件がありました。原因は、電車内で携帯電話の使用方法について、彼女とオッサンが喧嘩したからだそうです。このオッサンの頭がおかしいのは勿論ですが、この女子高生はオッサンのおかしな態度に気付けなかったものでしょうか?この女子高生のように人に対する関心が低いと、人に対する気遣いもできません。
私の経験でもこんなことがありました。ある大きな道路を自転車で走っていたところ、横断歩道の前で、白い杖を持っている盲目っぽい女性が立っていました。周りにも多くの人達がいます。私はチラッと見てなんとなく気になったので、慌てて引き返して「タクシー待ちですか?」と問いかけました。彼女は「はい、そうです」と応えたので、私はタクシーをつかまえて、彼女を乗せてあげました。日本人は基本的には優しいので、盲目の女性がタクシーをつかまえようとしていると気付けば、多くの人が私と同様の行動をとります。しかし、その合図にはなかなか気付けません。また気付いても行動にうつしません。なぜならば、もし女性がタクシー待ちでなかったら、恥ずかしいからです。それを割合で示すとこんな感じだと思います。
なんらかの合図に気付く人 → 50%
それにそって行動できる人 → 10%
つまり100人いて、合図に気付いて行動できる人は5人ぐらいだと思います。こういう人達を、私は「気が遣える人」だと思います。

上記の内容を簡潔にまとめるとこうなります。
グローバル人材になる方法
  1. 人材になる。→ 抜きん出た人材になる。= グローバル人材
  2. → 言語力を身につける。
  3. → 気を遣えるようになる。= グローバル人材
日本人が日本人らしく働いて、言語力を高めれば普通になれるのがグローバル人材なのかもしれません。

ちなみに、同じグローバル人材ですが、この二つは意味合いが少し異なるかもしれません。グローバル人材を育てる時の話であれば、どちらを指しているのか定義をハッキリさせてから話すほうがいいかもしれません。