父からきたメール

新年に父からきたメールの一文がとても気になったので、それについて書きたいと思います。その一文とはこちら。
人生の残り時間も少なくなってきたので、何か有意義な事をしたいと思っている。
父はどういう人かと言えば、年齢は73でようやく仕事を辞めることにしたらしい。別にお金がないというわけではなく、お金はある。どちらかといえば好きで仕事をやっているタイプに見えていた。父の小さい頃からの口癖は「勉強しろ」というもの。それ以外は、家庭を顧みるなんてことは特にない。かといって子供が自由にやれているかというと、そんなことはなく家庭内ではテレビと音楽を聴くのは禁止(勉強の妨げになるから)だった。そんな父が今になって「有意義な事をしたい」というメールを送ってきたのは、どういう意味なのかと少し考えてしまった。実は特別な意味なんてないのかもしれない。ただ、文章を見れば今までは「有意義なことをしていなかったけど、これからは有意義なことをしたい」という風に理解できる。それに対して、私は非常に嫌悪感を感じてしまった。まるで、父の仕事人生は有意義ではなかったかのように聞こえるし、何かを我慢してきて、そのために有意義なことができなかったかのようにも聞こえるからだ。
 時を同じくして、友人達と1年振りに飲んだ。そのうちの1人は抗鬱剤を飲んで、会社をちょくちょく休みながら仕事をしているらしい。私からすれば、そこまでしてその会社で働く必要があるのか?という疑問が浮かんだが、本人は家族のために働き続けるらしい。果てして、それは本人にとって有意義な人生なのだろうか。ふとそこで、ある質問が思い浮かんだのでみんなに聞いてみた。
「会社を辞めて、それなりにお金があったとしたら、継続して何かやりたいことってある?」
誰も応えられなかった。勿論、旅行したいとか、ゴルフしたい、のんびりしたいとか短期的なものはみんな持っている。しかし、継続してやりたいこととなると、誰も何も言えなかった。みんな、わりと窮屈な人生を送っているなというのが正直な感想だった。私の場合は、仮に今の仕事を辞めて、お金があってもITの仕事につく。きっとセブ島にいる。ITではなくても料理人を目指して修行をしたい気持ちもある。空手とか合気道とかの師範になりたい気持ちだってある。それは流石に体力的に難しいだろうけど。スキューバダイビングとかだったら、体力的にも大丈夫かもしれない。仕事は、そういった自分がやりたいことを選ぶのが一番だ。公務員になって、高給を取りながら趣味を充実させるというのも選択肢の一つではあるけど、それは物事の本質からは外れている。その先にあるは仕事という長い自分の時間をドブに捨てる行為だ。自分の人生で一番、長く関わるであろう仕事自身を楽しむことで、自分の人生を有意義にしたい。そして、自分が老人になった時はこう発言したい。

「今までたくさん有意義なことをやってきたが、そろそろ身体も自由には動かなくなってきたので、これからは、それでもできることをやっていきたい」

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