【書評】運を支配する(2)

雑用を軽んじると運から見放される

桜井会長
だが、雑用だからといって「雑」に扱っていいものではない。なぜなら雑用とは仕事の「基礎」であり、「現場」のことを指すからだ。だから仕事から雑用を引いてしまえば、仕事は成り立たなくなってしまう。運からも見放されることは間違いない
藤田社長
雑用でも全力でやっている人がいると、それを見て人は「他のこともやらせてみようかな?」「そんな細かいことまでやってくれるんだ。頼もしいな」というふうに考えるのです。
会社の仕事には、特別に高いスキルが必要なわけではなく、誰がやってもいいけど、誰もやりたがらないような雑用的な仕事もあります。そういう仕事を積極的に拾って、みんなが気持ちよく仕事をできるような環境を作れる人というのは、価値があると思います。また、そういう仕事を評価してくれないような上司の元では働きたくありません。雑用とは本当に大事ですね。


ポジティブ思考は成長を妨げる

桜井会長
ポジティブ思考をいつも心掛ける人は、実は人としてあまり成長しない。辛い時や悲しいときに、ポジティブ思考で無理に明るく振る舞おうとすることは、嫌な現実から目を背けた逃避行動になるからだ。心の成長というものは、自分の弱かったりダメだったりする部分をしっかり見つめることでなされる。
藤田社長
問題が起きたときに、ポジティブ思考で楽観的に構えている人はとても気になります。「大丈夫ですから」「なんとかなりますよ」というのは逃げの裏返しでもあって、問題の深刻さと真剣に向き合ってないかと僕には思えるからです。
すごい人がいいけれど、出世はしないし年収も低いままという人を何人か知っています。ハングリー精神が足りないという言葉だけでは、うまく説明できないなと思っていたのですが、桜井会長の言葉を聞いて納得できました。ネガティブすぎても駄目で、ポジティブすぎても駄目。難しいものです。


ネガティブな連想は意識的に切る

仕事のやりとりで返事がないのは困るが、プライベートであれば返事がこないことに対しては「返事がない」という事実だけを受け止めて、そこからいろいろな想像をすることを「止める」ことが大事だ。ひとたび連想が始まると、返事がこないということに心が囚われて止まってしまう。
昔は、私もネガティブな連想に囚われがちだったのですが、最近は気にしなくなりました。女性をメールで飲みに誘ったけど、返事が返ってこない。まぁ、そんなこともあるか〜と諦めていたら3週間後ぐらいに、飲みにいきましょうって返事が返ってきて逆にビックリ。もしネガティブに囚われていて、催促のメールとかをしていたら、きっと永久に返信は来なかったと思います。


「終わり」を「始まり」にすると、ツキが持続する

桜井会長
何かが終わったら、チャラだと考えるのである。終わってしまえば、それまでのプラスもマイナスもすべてゼロに戻るという感覚なのだ。
藤田社長
知り合いで昔ゲームを大ヒットさせた人がいるのですが、その人は会うたびにヒットしたゲームの話をします。ヒットさせたのはかなり前のことで、それ以降はあまりヒットを出せていません。本人の気持ちとしては、そこしか自分の拠り所がないのかもしれません。しかし、昔話を聞かされるたびに「この人はものすごく停滞しているな、大丈夫かな」という感想を抱いてしまいます。
桜井会長が「土に還れ」とよく言っているのは、このことだと思います。それだけだと抽象的でわかりづらいのですが、藤田社長はわかりやすく説明しています。私の友達にも昔話しか、盛り上がれる話をできない人が年々と増えてきています。きっと、人生が停滞しているのでしょう。終わりを始まりにすることは、年をとるにつれて難しいものです。

楽を求めると楽にならない 

桜井会長
私が接する若い世代なんかを見ていると、「楽をしたい」という思いを持った人が昔よりも増えているなと感じる。
しかし、楽ばかりを求めていると、人は成長しない。厳しい状況を耐え忍んだり、それを乗り越えていく力は育まれない。 
藤田社長
もしハワイへ行って毎日ブラブラと楽な生き方をしてしまったら、自分があまり成長しなくなり、社会的な使命感も持てず、生きがいを感じることもないだろうなと思います。最終的には退屈して苦しい思いをするという、ネガティブのスパイラルに入っていきそうな気がするのです。
楽な道を選ぶと、いつまでたっても楽に生きることができないというのは、逆説的で非常に面白い話です。私自身、楽したいなと常に思っているのですが、その結果としてITの勉強や英語の勉強をする羽目になり、いつも内心で苦笑しています。

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