セブ島で闘鶏を見てきました。

セブ島で闘鶏を見てきました。
場所はこの辺り。
「mandaue cockfight stadium」とかでggrと情報が出てきます。

入場料は20pesoぐらい。見るだけでもいいし、単純にどちらの軍鶏が勝つか賭けるのもよし。おそらく、倍率は2倍ぐらいだと思われる。勝てばお金が2倍になるし、負ければ無くなる。ただ私の場合は200ペソ賭けて勝ったのに、150ペソしか貰えませんでしたw おまけに、コーチ料とかで50ペソをせびられる始末。。。まぁ、みんな興奮状態だし、ガラの悪そうな人達ばかりだったので、素直に言うことを聞いて50ペソを払っておきました。金払いがよければ、何か揉めた時に助けてもらえるかなと思ったので(笑) あと、誰かのカモになっているフリをしていれば、他の悪い人にちょっかいをかけられる可能性は少なくなるので。
それにしても場内の熱気はすごかったです。
また軍鶏同士の戦いは、大体、数分で決着がついていました。お互いにブレードみたいな武器を足につけているので、決着が早いようです。ところで、写真にある緑の食べ物ってなんでしょうか?知っている方がいたら教えて下さい。

























太平洋戦争前の日本人は何を考えていたのか?

太平洋戦争 、いわゆる大東亜戦争時の日本人は何を考えていたのかということを考えてみたいと思います。当時の日本人は軍部に騙されていたのか。それとも昭和天皇に騙されていたのか。はたまた、何も考えていなかったのだろうか。それらの答えを出すためには、1941年、大東亜戦争が発生する前の80年間の歴史を追っていく必要があります。そこで、主な出来事を年表に並べてみます。
  1. 1868年。明治維新
  2. 1894年。日清戦争
  3. 1905年。日露戦争
  4. 1932年。満州事変と満州国設立
  5. 1937年。支那事変
  6. 1941年。大東亜戦争
それでは、1の時代から順番に追っていきたいと思います。

1、明治維新(1868年)

当時、日本は欧米諸国と二つの条約を結んでいました。
  • 治外法権
  • 関税自主権の放棄
治外法権というのは、外国人が何をしても外国の法律で裁かれるというものです。例えば、イギリス人が日本人女性をレイプしても、日本人はそのイギリス人を裁くことはできません。イギリスの裁判所が、「日本人はサルと変わらないから、レイプしても罪は軽いよ」と言えばその通りになります。そのため、イギリス人は日本でやりたい放題でした。
 関税自主権を放棄すると、どうなるのでしょうか。現代の日本は関税自主権を持っているので、外国のお米に対して大幅な関税をかけています。それによって、日本の農家は守られています。もし関税が無くなれば、日本人は外国のお米を安く買うことができるようになりますが、農家は困って生活ができなくなります。当時の日本は関税自主権が無かったので、外国から安価なものがたくさん入ってきて、多くの生産者は困っていました。
当時の日本人は欧米に対して怒っていました。

2、日清戦争(明治維新から26年後)

治外法権を撤廃して、関税自主権を日本に取り戻すためには国が強くなる必要がありました。そのため、簡単に言えば、朝鮮に対する支配力を強化するために、清国と戦うことになります。当時の戦争とは、清国の軍隊と日本の軍隊が戦うもの、つまり軍隊同士の戦いです。清国の軍隊が日本人を襲ったり、日本の軍隊が清国人を殺すようなことはしません。主に船上で、軍人同士が戦っていました。そして日本は勝ちました。
 日本人は戦争に勝つことによって、台湾を取得して、賠償金を獲得しました。でも治外法権と関税自主権の問題は残っているので、日本人はまだ欧米に対して怒っています。

3、日露戦争(日清戦争から21年後)

朝鮮半島と満州への支配を巡って、今度はロシアと戦うことになります。この戦争でも、軍人同士が戦いました。有名なロシアのバルチック艦隊が日本の近くを通りかかっても、沖縄や九州に攻め込んだりはしません。あくまで、目標は日本の軍隊でした。ここでも日本が勝つことにより、朝鮮と満州への支配力を強めました。
この戦争で勝った結果、治外法権と関税自主権の問題を解決して、日本は世界から一等国として認められました。樺太の半分も獲得しました。でも賠償金は貰えず、国民の生活は苦しかったので、国民は日本国に対して怒っていました。

4、満州事変と満州国設立(日露戦争から27年後)

日露戦争の戦費、関東大震災、世界恐慌の影響などがあり、国民の生活はいつまでたっても、よくなりません。国民はストレスがたまっていました。そんな中、当時の満州では支那人との紛争があったので、支那と戦争して満州を切り取ることにしました。元々、満州はある程度は日本の支配下にあったのでアッサリと成功しました。これに対して、日本人は熱狂して歓迎しました。
この戦争でアッサリと勝った結果、満州という広大な土地を獲得しました。日本人は大喜びです。満州には満州鉄道という日本最大の会社があったのですが、そこでは20万人以上の日本人が働いていました。いかに、大きな会社だったかがわかります。

ここで、いったん明治維新から1932年までの約60年間で日本人が学習したことをまとめてみます。

  • 戦争は軍隊と軍隊が戦うので、国民は関係ない。
  • 日本は戦争をすれば勝つ。
  • 戦争をすれば儲かり、権益が手に入る。
60年といえば、人の一生そのものです。つまり当時の大人は、ほぼ全員が上記の認識を持っており、子供にはそういった話をしていました。日本の軍隊は強くて、常勝で、勝つたびに日本は領地を増やしてきたんだと子供に言って聞かせました。

5、支那事変(満州事変から5年後)

満州を獲得したら、次は支那も獲得したくなってきました。国民は、戦争をすれば勝って、儲かるものと思っています。そのため誰も戦争を止めません。止められません。アメリカとの関係が険悪になってきても、それでも支那との戦争を止めようとはしません。日本は非常に強い軍隊で、常勝だったからです。支那の首都である南京を陥した時は、国内でお祭り騒ぎでした。戦争を止めようという雰囲気になるはずもありません。

6、大東亜戦争(支那事変から4年後)

アメリカと支那での権益がぶつかり、また、世界的な情勢がそれを後押したので、日本はアメリカと戦争することになりました。日本は初戦の連勝で、当時、欧米に支配されていた東南アジアを獲得します。これでまた儲かるということで、みんな大喜びでした。その様子は、出光さんの本に書かれています。当時、政府筋の人が石油権益を狙って非効率な組織を作り軍隊と揉めたとのことです。また、合気道の達人で有名な塩田剛三先生も当時、東南アジアにいたのですが、「みんな浮かれていたから、負けたのは仕方ない」という話を「合気道人生」の中で話されています。
ここで改めて、当時の国民が思っていたことを書きます。
  • 戦争は軍隊と軍隊が戦うので、国民は関係ない。
  • 日本は戦争をすれば勝つ。
  • 戦争をすれば儲かり、権益が手に入る。
しかし、大東亜戦争は今までとは違いました。

  • 国民は戦争に巻き込まれました。
  • 日本は戦争に負けました。
  • 戦争に負けて、全ての権益を失いました。

60年間、続いた現実が幻想であることに気づきました。

✳︎✳︎✳︎
駆け足で明治維新から大東亜戦争までの歴史を追ってみました。多分に私の予測を入れていますし、詳細な歴史を省いています。これを読んだ方は、当時の日本国民はバカだったと思うのでしょうか。私はそうは思いません。多くの人は、数十年間、続いた事実は真実だと感じますし、それは 現代でも変わりません。戦後の日本人は、土地の価格は必ず上がり続けるという神話を信じ続けた結果、バブル崩壊で多くの人が泣きを見ました。今現在で進行していることだと、国はいくら国債を発行しても大丈夫という神話があります。そう考えると、100年たっても人の本質は何も変わっていません。

想像力を働かせて、歴史を見てみよう。

セブ島での生活費(8月)

  • 家賃;16770ペソ(水道代込み)
  • 電気代;300ペソ
  • 食費;18464ペソ
  • 通信費;1000ペソ
  • 散髪;150ペソ
  • 交通費;500ペソ
  • 日用雑貨;500ペソ
  • 水着;5000ペソ
  • 遊び 代;5000ペソ
主要な品目はこれぐらいで、その他の細かい値も入れると一ヶ月の生活費の合計は以下の通りでした。
45616ペソ

電子書籍を購入していますが、その代金はこちらに含まれていません。

セブ島での生活費(7月)


  • 家賃;15000ペソ
  • 食費;12130ペソ
  • 通信費;2850ペソ(初回なのでポケットwifi費用代も込み)
  • 散髪;150ペソ
  • 交通費;400ペソ
  • 日用雑貨;1800ペソ
主要な品目はこれぐらいで、その他の細かい値も入れると一ヶ月の生活費の合計は以下の通りでした。
33180ペソ

それとは別にデポジットなどで、最初の月は3万ペソほど払っていますが、それは生活費ではないので計算に入れていません。

グローバル人材の採用はなぜ失敗するのか

前回の記事でグローバル人材になる方法についてふれましたが、今回は、なぜグローバル人材を採用しようとして失敗するのかについて説明したいと思います。
グローバル人材のおおまかな定義は前回ふれた通りです。
おさらいしますと、以下の通りです。気を遣える人の意味は 幅広いのですが、今回は経団連の資料にそって分割してみます。

  1. 日本でしっかりと働ける「人材」であること
  2. その国で通じる言語力を保有すること
  3. 気を遣える人であること(4,5以上に広義の意味)
  4. 海外との社会・文化、価値観の差に 興味・関心を持ち、柔軟に対応する姿勢
  5. グローバルな視点と国籍、文化、価値観、 宗教等の差を踏まえたマネジメント能力
グローバル人材を採用する場合に、面接で見るのは1と2がメインになってきます。もしかすると、むしろ1よりは2がメインかもしれません。そのため、言語力だけが高い人帰国子女のような人を採用して3、4、5に関しては面接等で確認しません。というかできません。そして、面接者は候補者の言語力が高いというだけで4、5もできるだろうと勝手に思い込んでしまいます。しかし実際のところは往々にして逆の結果が待っています。なぜ、そうなるのでしょうか?

なぜならば、私達はあまり気付いていませんが、日本人は4、5の能力が外国人に比べて優れているからです。日本人は元来、八百万の神を信じており、仏教やキリスト教などが伝来した時もそれらのよいところだけを取り入れてきました。地政学的な条件に恵まれ、平和な時代が長く続いたといこともあり、物事を取り入れることに関しては、非常に柔軟性をもった民族です。それに比べて、海外では一神教の人が多く、また、常に戦火に晒されていたということもあり、柔軟に対応するという土壌はあまり育っていません。そのため、帰国子女や留学などで海外の文化にふれて育ってきた人は4と5の能力が低いことが、ままあります。

グローバル人材を採用したい時は、「どう気を遣える人材なのか」というところに焦点をおくといいかもしれません。あと、基本的に帰国子女の女性は地雷が多いというのは感覚値であります。でも、これはただのシックスセンスなので、なんの根拠もありませんw

グローバル人材になるためには、どうすればいいのか?

グローバル人材という言葉が、最近、よく聞かれるようになりましが、それがどういった人材で、どうすればなれるのかということについてはあまり言及されていません。そこで私の意見を述べようと思うのですが、その前にグローバル人材について軽く調べてみました。


「日本を起点にして物事を考えるのではなく、地球規模で広く物事を考えるという視点がグローバル人材の一つの要素」
「世界に通用する人間であると同時に、日本の良さも自覚した上で働くことのできる人材」と定義した。それには「日本について客観的な目を持つことに加え、自分とは違う物の見方や考え方をする人がいるという多様性を常に意識することが大切」
なるほど。わかるようで、あまりわからないですね。
次に経団連が書いた別の資料を見てみます。

グローバル人材の育成・活用に向けて求められる 取り組みに関するアンケート

グローバル事業で活躍する人材に求める素質、知識・能力



ここでは特に以下の四つが強調されています。

  • 海外との社会・文化、価値観の差に 興味・関心を持ち、柔軟に対応する姿勢
  • 既成概念にとらわれず、チャレンジ精神を持ち続ける
  • 英語をはじめ外国語によるコミュニケーション能力を有する
  • グローバルな視点と国籍、文化、価値観、 宗教等の差を踏まえたマネジメント能力
これらは比較的、具体的に書かているのでわかりやすいですね。でも、これを読んだ人が「なるほど、こうやればグローバル人材になれるのか」と思えるような資料にはとても思えません。結局のところ、経団連もグローバル人材とはどういったものなのか理解していないように思えます。
どうしてこんなに曖昧な話になってしまうのか?という点をふまえて、私なりのグローバル人材の解釈を述べてみます。

グローバル人材とは二つにわけられます。
一つ目は抜きん出た才能を持つ人達です。
例えば本田宗一郎、盛田昭夫、松下幸之助、出光佐三など、日本が輩出した起業家たちです。彼らは英語など話せなくても、自分たちの実力を武器に世界で堂々と闘って成功を収めました。また塩田剛三(合気道の達人)などもグローバル人材と言っても差し支えないかと思います。彼の元には多くの外国人が教えを請いにきました。勿論、彼は英語を話すことなどできません。むしろ、合気道を習いにきた外国人が必死で日本語を学ぼうとしました。彼らは経団連の条件のいくつに当てはまるでしょうか?既成概念にとらわれず、チャレンジ精神を持ち続けていたことは、当てはまると思いますが、他に関してはどうだったのかはわかりません。自らが「抜きん出た人材」となることで、むしろ外国人が教えを請いにきていた側面すらあったと思います。つまり抜きん出た人材であれば、そこには日本国内、海外といった枠は関係ないということだと思います。

二つ目のグローバル人材とは、もう少し一般的な話で、以下の三つの条件を満たしている人だと思います。
  • 日本でしっかりと働ける「人材」であること
  • その国で通じる言語力を保有すること
  • 気を遣える人であること
グローバル人材であるために、まずは「人材」である必要があります。そして次にコミニケーションがとれるだけの言語力を有し、最後に気を遣える人になる必要があります。
まず「人材」になるためにはどうしたらいいのでしょうか?これは仕事をして覚える以外に手はありません。内容にもよりますが、2、3年かかるものから、10年かかるものまで様々でしょう。そのまま「抜きん出た人材」になれればそれでいいのですが、そういった人達ばかりではありません。そういった人達は、次に言語力を磨くべきです。これはレベルが高いに越したことはないのですが、そこまで高い能力は必要とされません。なぜなら、仕事で使う単語は限られているからです。さらに、あなたがすでに「人材」であるならば、そのフィールドにおいては言葉が通じなくても理解できる可能性が高いからです。TOEICで言えば、600点ぐらいの英語力があれば十分です。でも繰り返しになりますが、言語力は高いに越したことはありません。
最後に気を遣える人材になる必要があります。これは曖昧な言葉ですが、日本人ならば理解できるはずです。元来、日本人はそういったことには秀でた民族でした。「おもてなし」という言葉もその表れです。しかし、昨今の日本人はこの能力が落ちてきていることも確かです。気遣い云々の前に、人に対する関心が著しく減ってきています。街中でもスマートフォンなどを見ているせいか、人に対する「気付き」が非常に少なくなってきています。最近、女子高生が、おかしなオッサンに階段から突き落とされた事件がありました。原因は、電車内で携帯電話の使用方法について、彼女とオッサンが喧嘩したからだそうです。このオッサンの頭がおかしいのは勿論ですが、この女子高生はオッサンのおかしな態度に気付けなかったものでしょうか?この女子高生のように人に対する関心が低いと、人に対する気遣いもできません。
私の経験でもこんなことがありました。ある大きな道路を自転車で走っていたところ、横断歩道の前で、白い杖を持っている盲目っぽい女性が立っていました。周りにも多くの人達がいます。私はチラッと見てなんとなく気になったので、慌てて引き返して「タクシー待ちですか?」と問いかけました。彼女は「はい、そうです」と応えたので、私はタクシーをつかまえて、彼女を乗せてあげました。日本人は基本的には優しいので、盲目の女性がタクシーをつかまえようとしていると気付けば、多くの人が私と同様の行動をとります。しかし、その合図にはなかなか気付けません。また気付いても行動にうつしません。なぜならば、もし女性がタクシー待ちでなかったら、恥ずかしいからです。それを割合で示すとこんな感じだと思います。
なんらかの合図に気付く人 → 50%
それにそって行動できる人 → 10%
つまり100人いて、合図に気付いて行動できる人は5人ぐらいだと思います。こういう人達を、私は「気が遣える人」だと思います。

上記の内容を簡潔にまとめるとこうなります。
グローバル人材になる方法
  1. 人材になる。→ 抜きん出た人材になる。= グローバル人材
  2. → 言語力を身につける。
  3. → 気を遣えるようになる。= グローバル人材
日本人が日本人らしく働いて、言語力を高めれば普通になれるのがグローバル人材なのかもしれません。

ちなみに、同じグローバル人材ですが、この二つは意味合いが少し異なるかもしれません。グローバル人材を育てる時の話であれば、どちらを指しているのか定義をハッキリさせてから話すほうがいいかもしれません。

【書評】それから(ボンボンニートの恋愛小説です)

「それから」が書かれたのは1909年で、著者は千円札でおなじみの夏目漱石さんです。時代背景で言うと、日露戦争が終わったのは1905年ですので、戦争に勝ってから4年後の話ということになります。戦勝国気分に沸いている頃の日本のボンボンニートの恋愛ストーリーと考えると、非常に親しみが湧いてきます。

この話の主人公は30歳のニートで、親からの仕送りで暮らしています。今でいうとパラサイトシングル、というか親のお金で一人暮らしをしながらお手伝いさんを雇っているので、かなり性質の悪いニートということになります(笑)そんな彼にも縁談の話がやってきます。羨ましい限りです。ニートなのに縁談話、しかも相手は美人で親は金持ち。最高の話ですよね?私なら確実に結婚します。なのに主人公はどうも煮え切りません。何かが心に引っかかっているようです。

そんな主人公は、世の中の世相についてこんなことを述べています。「都会じゃ同じ相手を想い続けるなんて至難の業だ。現代の都市では人はあまたの心動かされるものに接触しうる...つまるところ、現代の都市とは人間の展覧会もしくは見本市みたいなものなのだ。誰も彼も用があれば相手と自由に恋愛している。都市は都会人同士、皆が関係をつくりやすく配置されている。つまり皆が皆、芸妓だ」
これは今でも通じる内容ではないでしょうか?それが1909年の小説に描かれていることに、私は非常に驚きました。今の東京でも、人は自由恋愛を楽しみ、それがゆえに結婚を躊躇うという状況がおこっています。日本人が日本人である限り、時代は変わろうとも男女関係はあまり変わらないことがよくわかります。

そして話を進めていくうちに、主人公の人生が停滞している理由が明らかになります。
数年前、主人公には付き合ってはいなかったものの仲がよい女性がいました。しかし突然、おこった環境の変化に翻弄され、その女性と結婚することにはなりませんでした。そして、その女性は主人公の友人と結婚することになります。主人公はそれを祝福しましたし、一件落着したかのように見えていました。でも主人公は、その時に自分の本当の気持ちに気づいていなかったのです。それは、その女性のことが大好きだという気持ちです。自分の気持ちに気付いてしまった主人公は、それを抑えることができません。時が止まってしまった人生を動かすべく、友人の妻を奪うことに躊躇いながらも、それを実行しようとします。。。

男が女を想い続けることは、今も昔も変わらないなとつくづく思いました。悪くいえば男は100年前から未練がましいのかもしれません(笑)三角関係、略奪愛、こういう恋愛小説を娯楽として楽しんでいたのが戦前の日本人です。今の日本人と全く変わりませんね。
興味がわいたら、是非、読んでみて下さい。